本年度はヘーゲルとシェリングに共通した視点を探し出すことを目標とした。主に色彩論に関しては両者ともに、カントが色彩を感性的な刺激とみなし、絵画における色彩(Farbe)よりも素描を重視したのに対し、彩色(Kolorit)を素描(Zeichnung)より重視している点、さらに風景画に関し、光と大気との変化の中で微妙に変化する遠景を描く風景画における彩色の繊細さと揺れ動く偶然性、見るものの気分や感情を引き起こす表現を彩色に認め、素描には不可能な生命性と多様性の表現を彩色に認めている。この彩色の評価は、ヘーゲルにおいてはロマン主義評価の問題とも関係し、初期の草稿とホトー版との間には基本的な変化は認められないが、いわゆるロマン主義的な傾向が、ロマン主義以降(芸術の終焉)以降の芸術の特徴と、彼が彩色に対して与えた役割とが微妙にオーバーラップしている点が非常に興味深い。彩色はシェリングにおいては光の変容として、音と同様、無規定性あるいは無限性への傾向を持つが、それのみならず、彩色に空間を形成する力が認められている。ヘーゲルは彩色に空間形成の力は認めていないが、真理概念とは関わらず、日常的世界の諸対象の模倣(特に光りの描写)に無限に拡大してゆく傾向を認めている。少々性急ではあるが、芸術における真理概念を重視し続けたシェリングの色彩論(素描は両者ともに対象の概念把握と関係する)は、抽象表現主義へと展開してゆく傾向を持ち、芸術の終焉を告知したヘーゲルの色彩論はポップアートへと展開する傾向を持つ。両者ともに芸術美の規範の転回点において、風景画とその彩色に新しい芸術への傾向を認めている。あるいはすくなくとも、後世から見て、彼等の色彩論に現代芸術への展開の萌芽を読み取ることができる。おそらくは当時登場した新しい絵画のジャンルに彼等が見た傾向が、何らかの形で現代に繋がっていると推測される。また、両者ともに光の変容としての色彩概念をゲーテから受け取っている。後期のシェリングは色彩に関してはほとんど問題にしていないが、『芸術の哲学』の時代には否定的な評価しか下していないオランダの絵画に対する評価がネーデルランド旅行後に変化しており(たとえば『啓示の哲学』には、「台所を書こうと、偉人を書こうと絵画はその使命を果たしている・・・」との表現が見られる)、ヘーゲルの評価に接近している。両者の絵画論における共通性はカント、ゲーテとの関係をも含めてさらに考察を深めてゆく必要がある。
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