日本の洋楽史の中でも、音楽作品とはこうあるべきという作品イメージが、作曲界と演奏界の間でとりわけ分岐したと思われる戦後の1950年頃を主な対象として、演奏記録(音楽会の演奏曲目)、音楽会プログラム冊子、音楽雑誌、新聞記事から、どのような作品が取り上げられ、どのようなプログラミングが志向されていたか、また音楽に関する言説からは、どのような作品あるいはどのような演奏が評価される傾向にあったかを考察し、次のような結果を得た:(1)ドイツ・オーストリアの古典を模範とする体制の中で、演奏の現場においては近・現代の作品を取り上げる傾向にあった、(2)近・現代の作品からは、フランス近代のほか非西欧および日本を含む非ヨーロッパの作品が取り上げられる傾向にあった、(3)非西欧の作品を自分たちの感性に近いものと感じていた点は作曲界も演奏界もほぼ共通していた、(4)ドイツ・オーストリアを模範とする体制は教育政策上の指示であり、必ずしも日本の楽壇の嗜好ではなかった、(5)演奏評ではドイツ・オーストリアの古典音楽の演奏に適切なスタイルが基準となり、それから反れるスタイルは、特性として評他されるのでなくマイナス評価される傾向にあった、(6)新作に対しては、オリジナルな作品を求めつつも、それに該当する作品が出てこない、と聴き手に思わせる状況であった。作曲界と演奏界の間で言説においては志向するものに齟齬があったように見受けられるが、実際には、作風と演奏スタイルは同一の嗜好が反映されていたことが指摘される。
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