平成14年度は、先行研究・関連史料の調査・収集を行い、おもに明治初期の神道祭祀における祭式と奏楽の定型化とそこでの雅楽の使用状況を調査した。その結果、(1)明治初年に神祇官が主導して創始した各種の新儀祭祀にも当初から雅楽が配され、とくに神楽をはじめ固有の起源をもつとされる国風歌舞が重視されて、明治3年からは神饌供撤奏楽にも神楽歌が用いられた(ただし明治6年まで)、(2)関西在住の楽人の東上は、明治2年12月の賢所御神楽と創建された神祇官神殿遷宮時の祭祀を直接の契機にしており、明治3年11月の雅楽局設置にはじまる雅楽改革も宮中祭祀と神祇官祭祀の双方にかかわって構想された可能性が高いこと、(3)雅楽教習は明治6年に一般に開放され畿内各社や伊勢神宮への伝習も行われたが、その普及度は低く、明治8年4月に制定された『神社祭式』では「奏楽」は一社相伝の神楽歌または奏楽なしでも妨げなしと注記された、(4)神職への雅楽の組織的教習は、明治16年に皇典講究所で始まった三管と保育唱歌の教習が早く、宮内省楽部楽師が指導した、ことなどがわかった。 来年度は、各地での神職への雅楽教習会などを通じて明治後期から本格化する雅楽の普及過程や、天理教など教派神道の祭祀への雅楽の導入過程について、聞き取り調査をまじえて取り組む予定である。
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