今年は主として教皇庁における反宗教改革期の美術政策について研究を行なった。反宗教改革には、教皇庁の美術が当時の公的な美術様式と認定され、各教団の美術政策や個人の美術嗜好に強く影響していたからである。具体的には、16世紀から17世紀にかけての教皇権が、当時の欧米の歴史情勢の中でどのような政治的・社会的位置をしめていたのか、またそれが公的な聖庁であるヴァチカン宮殿と一族の居城であるパラッツォの美術装飾にどのように反映しているかについて調査した。特に16世紀前半にパウルス3世を輩出したファルネーゼ家は、イエズス会の総本山であるイル・ジェズ聖堂建立を援助するなど、そのパトロネージは反宗教改革期の美術にとってきわめて重要であり、ヴァチカン宮殿らサンタンジェロ城、パラッツォ・ファルネーゼに、ヴァザーリ、サルヴィアーティ、アンニーバレ・カラッチら当時の一流の芸術家を動員したその壁画装飾には、教皇権の聖性と一族の輝かしい歴史の称揚という、本来相容れない要素の双方が巧みに表彰されていることが明らかになった。フランスやスペインといった列強国や新教国に伍すべく教皇権の聖性を強調する一方で、一族のネポディズムを称揚するという二面性は、16世紀後半から17世紀半ばまでの教皇による美術政策の一大特徴といってよく、1600年の聖年事業を大規模に演出したクレメンス8世を経て、17世紀初頭のウルバヌス8世にいたって頂点に達した。こうした考察の一端を、論文「王権のイリュージョン-バロック的装飾と宮殿」(『岩波講座 天皇と王権を考える6 表徴と芸能』岩波書店、2003年1月刊、69-99頁)にまとめた。
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