本年度は1930年以降のクレー批評史の中から、マックス・エルンストの造形にかかわる諸問題を取り出し、クレーのシュルレアリスム的造形が多くの場合、マックス・エルンストの造形との比較で議論されていたことを分析した。 主な成果は以下の通り。 1928年前後のパリを中心にして開催されたクレー個展の展覧会評のクレー評を精査するとその多くにシュルレアリストとの比較があるが、その中でも際立って多く参照されているのがマックス・エルンストであることが実証された。 1920年代中盤いまだパリにおけるナショナリズムが穏やかだった時期、スイス出身のドイツ人クレーとパリ在住のドイツ人エルンストはコスモポリタニズム的視点から高く評価され、その造形的類似性を超え、戦中下の「理想的芸術家像」として比較される関係だった。しかし、ドイツに対するナショナリズム的反発がパリにおいて強くなってゆくと、両者の評価に次第にかげりが見えてくる。政治的変動期、芸術家がその造形によって評価されるのではなく、国籍や出自によって批評され、その造形的側面にまで美術史的偏向のバイアスがかけられる。そのメカニズムが批評史研究によって明らかとなった。 一方、ドイツにおいてはフランスに対する反発が第一次世界大戦以後次第に強くなって行く中、パリにおいて高く評価さたクレーは1920年代末辺りまでパリにおける批評に文脈で高く評価されるばかりか、エルンストとも比較され、「シュルレアリスムの淵源」はドイツにあるとの決定的な批評素を生み出したが、1930年代初頭以降ナショナリズム、ナチズムの台頭前後からフランスシュルレアリスム的クレー批評、エルンスト批評が却って大きな障害となり、両作家の「退廃芸術性」が喧伝されるという皮肉な結果を生んだ。ここにも政治的力学によって芸術がいかにたやすくその価値を切り上げ切り下げられるかが明示されている。本研究によって美術史的言説の政治性の問題にかかわる実証的成果が得られたと考えている。
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