デューラーにおける自画像成立の前段階として、本年度は中世後期の祭壇画における寄進者像と肖像画について考察した。13世紀末頃から14世紀にかけてイタリアの祭壇画に寄進者が描かれるようになる。ドゥッチオ(「フランチェスコ会士の聖母」1290年頃)、ジオット(「最後の審判」1305-6年)、シモーネ・マルティーニ(「礼拝堂の献堂」1315-17年頃と「サン・ルドヴィコ祭壇画」1317年)、ヤコポ・デル・カゼンティーノ(「サン・ミニアート祭壇画」1315-25年頃)、ベルナルド・ダッディ(「三連祭壇画」1333年)、タッデオ・ガッディ(「生命の木と最後の晩餐」1360年頃)、ジョッティーノ(「ピエタ」1360-65年頃)ではそれぞれ、画面左下で聖母の足元に跪拝する3人の小修道士、画面中央下部で跪拝するエンリコ・スクロヴェーニ(「西洋絵画における最初の肖像」といわれる)、聖人の前に跪拝する枢機卿ジェンティーレ・パルティーノ・ダ・モンテフィオーレおよび聖ルイから王冠を授かるロベール・ダンジュー、聖人の足元で跪拝する非常に小さな人物、聖母の足元で跪拝する2人物、生命の木の下に跪く小人物、二人の少女等が寄進者として表現される。これらの寄進者像には、ジオットやシモーネ・マルティーニにおけるように個性的表現もみられる。この時期にフランスやドイツで成立した王侯の肖像画は、寄進者像の個性的表現の機運と機を一にする。「フランス王ジャン2世の肖像」(1350年頃)は、側面観の独立肖像板絵として西洋絵画史上最古の例であり、鋭い目と長い鼻の特徴を捉えた写実的描写は、15世紀の祭壇画にみられる寄進者の個性的表現の先駆とみられる。また「オーストリア大公ルドルフ4世の肖像」(1365年頃)は、当時のドイツで現存する最古の独立肖像画で、15世紀前半にヤン・ファン・エイクが芸術的表現として確立する四分の三正面観の先駆的作品といえる。「フランス王シャルル7世の肖像」(ジャン・フーケ作、1444/50年頃)はヤン・ファン・エイクの肖像画の影響下に成立した、四分の三正面観による頭部と胸部の上半身像である。
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