ヤン・ファン・エイクを初めとする初期ネーデルランド肖像画の伝統に拠りながら、デューラーが西洋絵画史上初めて独立した自画像を描くに至る過程を探究した。初期ネーデルランド絵画ではヤン・ファン・エイクにより市民肖像画が初めて成立した。ヤンはまた「ロランの聖母」において、寄進者の宗教的な内面と寄進者の活動する外的世界を、風景を伴った祭壇画という形で表現した。ロヒール・ファン・デル・ウェイデンは「祈念肖像画」という、肖像画と祈念画を合わせた二連祭壇画で後世に決定的な影響を及ぼした。ディルク・バウツは「男の肖像」で、初期ネーデルランド肖像画で初めて、それまで無地であった座主の背景を具体的な箱形の部屋に変え、窓を側壁に設けた。この図で窓からの眺望と座主の宗教的な信仰内面が窓を敷居として対比的に表現される。その一世代後に、デューラーは「マドリードの自画像」でバウツの上記の肖像画と同じ構図で自画像を描いた。デューラーで初めて自画像であることが銘文で明記される。またバウツでは窓からの眺望が座主の内面的な意識と関連しないが、デューラーでは追憶の風景が描かれ、彼を想わせる旅の人物も小さく描き込まれ、窓からの眺望と座主とが強く結びつけられる。バウツでは眼差しが観者ではなく自己の内面に向かっているのに対して、デューラーでは観者の方に眼差しが向けられる。このようにデューラーがそれまでの伝統に拠りながら、意識的に自己を描き、またそれを作品として一般公衆に呈示したことは、社会における画家としての使命を自覚したことに他ならない。画家としての自問自答と社会における使命感が彼に自画像を生み出させたと言える。
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