本研究では、17世紀に著述されたドメニキーノについての伝記とそこに含まれる絵画叙述、特に彼の代表作である《聖ヒエロニムス最後の聖体拝領》および《ダイアナの狩》の叙述を分析し、絵画の「構想」と視覚的表現(「配列」)の関係に違いがあることを確認した。前者においては「構想」に「配列」が従属しているが、後者では「配列」の自由が容認されている。 この違いは、両者のジャンルが異なることに由来する。前者は「歴史」後者は「詩」として区別されていたのである。本研究では、これを確認した上で、このジャンルの区別が16世紀のヴェネツィアにおける絵画観に由来すること、この絵画観が16世紀後半の対抗宗教改革期に他の地域にも普及したことを、当時の絵画論の文献で跡づけた。特に重要と思われるのはジリオ著『歴史画において画家が犯す過ちと濫用を論じる対話編』である。従来、聖職者による保守的な絵画論としてさほど重視されていなかったこの著作だが、ボルギーニの『イル・リポーゾ』などから、この著作がかなりの評判をとっていたことが推察された。17世紀に著述されたバルディヌッチの『美術語彙集』にもジリオと同様のジャンル区分が見られる。ドメニキーノの作品叙述には、こうした状況が反映されていたのである。 この区分は古代の修辞学論や詩論が絵画論に転用された一成果であり、イタリア近世の文学理論と美術理論の関係の考察を通じて当時の西欧美術批評史の本質に迫った。
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