本研究は、終末期医療が固有の対象として死にゆく過程をどのように社会的に構築したのか、それに基づいて死にゆく過程をどのようにコントロールしているのかを明らかにすることを目的としている。過去2年度の研究では、終末期医療がQOLや「自分らしい死」という言葉とともに死にゆく人の私的な経験を医療の中で復権することを目指しつつも、死にゆく過程を主として心理的な過程として構築することによって、私的な経験に対して心理学的に介入し、医療スタッフが望ましいと考える「良き死」へと患者を方向づけていくという両義性が明らかにされた。 本年度も、この両義性が現れる具体的な場面として、死にゆく人が家族や医療スタッフや他の患者たちと織りなすコミュニケーションに焦点をあてて、両義性の諸相の分析を試みた。がんの闘病記、医師や看護師によるエッセーの分析の他に、進行がんの患者とその家族、看護師に対するインタビューを行い、死にゆく人がそれらの人を聴き手としてどのように自らを語ろうとしているのか、聴き手は傾聴を通じて死にゆく人に対してどのような眼差しを注いでいるのかについて分析を行った。死にゆく人はどのように死に直面していったらよいのかおぼつかない状態にあり、自分らしい死に方を求めて他者の前で何とか語り出すことを通して死にむかう自己をようやく現実として経験することができるようになる。聴き手である家族や医療スタッフの側には、心理学的知識に影響されつつ死にゆく人としての役割期待が形成され、傾聴を通して死にゆく人の私的な経験へとセラピー的眼差しが幾重にも注がれていく。こうして「語り-傾聴」のコミュニケーションの中で、死にゆく人の内的世界までもがある特定のパターンへと整形され、主観的世界の医療的な管理が浸透していくことになるのだが、こうした眼差しの多重構造を実証的に明らかにした。
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