今年度の研究実施計画は、(1)「沖縄愛楽園」入園者の生活誌の聞き取り調査、(2)戦前から戦後復興期にかけての「愛楽園」に関する資料・文献の蒐集と解読、(3)信仰生活、文芸芸術活動など、「愛楽園」の精神-文化的活動の諸相の把握の三点であった。(1)は、従来の聞き取りを補う追加調査として実施したが、物故者もおられた。(2)は「多磨全生園」(東村山市)、「沖縄県ハンセン病予防センター」(那覇市)、「沖縄公文書館」(南風原町)などに赴き、アメリカ統治下のハンセン病政策を在宅医療に転換させる契機になったDoulとKulthの報告書"Leprosy in Okinawa 1953"や戦前のハンセン病関連の新聞記事、市史や字誌のハンセン病関連の歴史、慣習などに関する文書を、入手することができた。これらの資料・文献により、1938年の「愛楽園」開園前後の沖縄本島のハンセン病問題に様相に迫る準備ができた。またアメリカ統治後のハンセン病政策についても、公衆衛生状況の推移、し尿処理や水道施設等の公共事業と関連づけることにより、沖縄固有の状況がみてくるようにおもわれる.(3)は、「愛楽園」内の「祈りの家教会」(日本聖公会)に「月刊 祈りの家」というガリ版刷りの教会報の存在を確認できたが、閲覧はできなかった。 今年度は差別問題、社会調査、社会理論等の研究会へ積極的に参加し、ハンセン病をめぐる理論研究の論文を二本、上梓した。一つはテンニースのゲマインシャフト論とシュッツの「社会的世界の構造分析」を援用し、入園者にとっての故郷を論じた。二つめはハンセン病経験者の罹患体験の相対化にかかわり、相対化という営為の基本構造は、行為の主体的なあり方をする身体が、社会的世界の中では客体として他者の知覚対象となる身体の両義性にあることを原理論的に論じた。 なお「宮古南静園」との人的ネットワークは構築可能になったが、当初予定していた台湾「楽生園」とのそれは構築できず、今年度は訪問を見送った。
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