今年度は、博物館における戦争展示が戦争の記憶を形成し再生産するうえで果たしている役割を解明するために、主に広島市で調査を行なった。なかでもいわゆる「原爆ドーム」に焦点を当てて調査を行なった。調査の結果明らかになったのは、以下の諸点である。 (1)「原爆ドーム」の誕生 「原爆ドーム」はもともと1915年に「広島県物産陳列館」として建てられたものである。その後「広島県立商品陳列所」「広島県産業奨励館」と名前を変えたが、一貫して近代化のショーケースの役割を果たしてきた。被爆後は「原爆ドーム」と呼ばれるようになり、96年にはユネスコの世界遺産リストに登録された。この建築物は近代化の明暗の両面を体現する「静止した弁証法」(ベンヤミン)ともいうべき性格を備えている。 (2)人々の意識の変容 この建築物はまた原爆をめぐる人々の意識の両面性を映し出してきた。戦後まもなくは取り壊し論と保存論が交錯し、被爆者の意識における忘却と記憶の「アンビバレンス」(リフトン)を反映し、また原爆を日本のナショナルな経験ととらえる立場とそれを人類の経験としてとらえる立場の違いを映し出し、世界遺産化の過程では、遺産化をすすめる日本と消極的な米中の対立を浮かび上がらせた。この意味で、この建築物は「記憶のアリーナ」ともいうべき性格を備えている。 (3)「原爆ドーム」の象徴化 「原爆ドーム」は切手、ポスター、ガイドブック、絵はがき、お士産用の模型などとして用いられ、「観光のまなざし」の対象として消費されている。
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