文部科学省の統計によると、2003年の時点で日本語指導が必要な外国人児童生徒」の数は1万9千人あまりに達し、その在籍校数は5.200校にのぼる。また、これらの外国人児童生徒の母語は65言語にわたる。かつては、ニューカマーの問題として語られるのは主として「言語」や「適応」の問題であったが、むしろ「学力」や「進路」の問題であり、それから派生する「不就学」や「アイデンティティー」の問題である。 本研究では、そうした問題状況をふまえて、「ニューカマーの子どもたちの教育支援」というテーマを考える際の枠組みの構築を試みた。そこで最も大切にされるべき視点とは、どのようなものか。誰が、どのように、彼らをサポートするべきなのか。ニューカマでの子どもたちの教育を、いかに日本人の子どもたちの教育と統合的に把握すればよいか。そして、学校教育を、地域・家庭でのそれとどのように関連づけて理解すればよいか。それらの問いが追求された。 もっとも大切なポイントは、「補償論的見方」から「保障論的見方」への転換である。「補償論的見方」とは、「日本人と同じように振る舞えること」を目標として、日本語指導や適応指導に取り組むあり方をさす。しかしながら、そうした「システムを改変することなく、『異分子』をシステムに吸収する」式のアプローチは、大きな限界をかかえている。今求められているのは、「彼らのニーズにできるかぎり応えていく」という「保障論的見方」である。このスタンスに立ち、彼らの「母語保障」や「高校希望者全入」といった施策を積極的に推進することが強く求められている。
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