研究課題/領域番号 |
14510282
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研究機関 | 神戸大学 |
研究代表者 |
鈴木 幹雄 神戸大学, 発達科学部, 助教授 (70163003)
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研究分担者 |
長谷川 哲哉 和歌山大学, 教育学部, 教授 (50031810)
堀 典子 横浜国立大学, 教育人間科学部, 教授 (90057117)
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キーワード | 芸術教育学 / 芸術学校改革 / ドクメンタ / ドイツにおける文化創出システム / バウハウス第二世代 / アレフォルメル / ZEN49 / ハンブルク芸術大学 |
研究概要 |
(1)ドイツのカッセル・ドクメンタに関連して、我々日本人が有しているイメージはボイスによって規定されてきた。しかし、そこには、戦後ドイツにおける芸術世界の発展過程についての豊かな理解が欠け、ナチズム崩壊後の芸術の再復興に貢献した人々の芸術教育学的努力についての理解が欠けていた。 この点に関連して、資料『25人の芸術家とZen49の痕跡』(1989)は、初期ドクメンタの背景としてのアンフォルメルの芸術家達の貢献を明らかにしてくれる。また資料『バウハウスの理念:プラン・継承・発展』(1991)は、戦後の北部・北西部ドイツで発展した芸術学校改革とその遺産について明らかにしてくれる。 (2)ところで、1955年の第1回ドクメンタは、カッセル芸術大学の画家・教授であったアーノルト・ボーデによって、ドイツ連邦庭園祭と並行して開催される現代芸徒際として発意された。ボーデとハフトマンの協力によって、1959年と1964年の第2回、第3回ドクメンタが催され、国際的な芸術祭が開かれた。この芸術祭にはパリのアンフォルメルの芸術家達とニューヨークの抽象表現主義の芸術家達が参加し、同芸術祭は国際的な現代アーティストの一大センターとなった。 (3)他方、資料『ドクメンタ1 1955』、『ドクメンタ2 1959』によって次のことが明らかとなる。初期ドクメンタに参加した芸術家は、次のようなアンフォルメルのドイツ人芸術家達であった。W・バウマイスター、F・ヴィンター、J・ファスベンダー、H・ハルトゥンク、E・W・ナイ、H・トリアー、T・ヴェルナー、H・ウルマン他(第1回)。これに次のようなアンフォルメルの芸術家達が加わった。R・ガイガー、M=デニンンホフ、H・ベールケ、N・クリッケ、B・シュルツェ、E・シューマッハー、K・R・H・ソンダーボルク他(第2回)。その内、とりわけヴィンター、ファスベンダー、ナイは、バウハウス出身者が戦後集まった、'ハンブルク芸術大学の招待講師であった。初期ドクメンタの展開過程を考察すると、《バウハウス第2世代》、アンフォルメルの芸術家達、そしてドクメンタ、これら三者の相互関係性が明らかとなる。
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