本研究は、幕末維新期における、国学者による学校教育構想の歴史的意義を、教育思想史の視座に立って考察することを目的とした。すなわち、神道思想に基づく教化論と民衆統合論の二つの視角から、この時期の国学者の学校教育構想を考察することにより、その歴史的意義を解明することを主たる課題とした。分析の対象として、六人部是香、鈴木雅之、矢野玄道の三人の国学者を設定した。なお、これら三人の国学者の思想に大きな影響を与えたと考えられる平田篤胤の国学思想についても考察を行った。本研究は、3カ年計画で進めた。その結果次の事柄が明らかになった。 1.平田篤胤の国学は、近世国学の学問的大成者である本居宣長とは異なる課題を背負って出発した。篤胤の思想の特質の一つは、日本人が神の子孫であると明言した点にある。この考え方が、家や郷土、身分・階級を越えた均質な「日本人」という観念を創り出す契機になり、幕末期における天皇への忠誠、いわば求心力を形成した。 2.六人部是香の著書『道之一言講義』を中心に展開される学校構想は、神国としての国体の確立を目的に、古道を全国に普及させることを狙いとしている。彼は、徳川幕藩体制下での政治を、「仁政」の実現されたものととらえ、人々が自らの社会的役割を自覚し、国家のために勤勉に努力する意志を人々の心の中に形成することが学校の役割であると論じた。 3.鈴木雅之の学校教育構想は、幕末期における天下の治安の確立と人心の天皇への集中化を実現する組織的な場として学校を機能させようとするものであった。さらに、矢野玄道の場合は、祭政一致の政治体制の確立を企図して、天皇に対する求心的な姿勢の形成を教育の根本原理ととらえ、道徳的教誨者としての天皇へ向けて人民を全一的に帰一させるための思想的教誨の場として学校が構想されたことが明らかになった。
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