福岡市内在住のかつての引揚者数人と会ううちに「連翹の会(旧京城公立小学校の会)」と「ニュー釜山会(旧釜山公立小学校の会)」の存在を知るに至り、両会の組織を通じて延べ30人以上と面接あるいは電話インタビューをすることができた。同時に、彼らが所有する京城・釜山「内地人」諸学校の同窓会誌や記念文集等を拝借し、コピーして資料を収集した。 これと並行して、ソウル大学図書館で1920〜40年代の『京城日報』を1週間にわたり閲覧、釜山光一初等学校(釜山第一・第七小学校の後身)では日本統治時代の遺物を集めた資料館を見学するなど、植民地朝鮮の教育・文化一般に関する実感の伴った基礎知識の集積に努めた。 これを基に、「内地人」教育の全体像に接近する第一歩として、代表的な「内地人」学校の事例研究に着手した。「内地人」小学校の核であった京城日出小学校に関してはすでに論文を完成、名門中学として有名な京城中学校・龍山中学校、および海外日本人学校として最古の伝統を誇る釜山第一小学校についても、なんとか論文をまとめられるだけの資料のストックができた。
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