1.「研修」という用語は戦前から存在する。戦後、教育公務員特例法によってはじめて造語されたものではない。しかし、戦前の「研究と修錬」から戦後の「研究と修養」への概念の転換が意識的に進められた形跡は認められない。また、戦後初期においては、「研修」は教育現場に十分に浸透していなかった。 2.戦後改革の時期において、教員の質に関する政策は「再教育」と「現職教育」の二つに分類できる。ともに、CIEの主導のもとに文部省によって推進された。「再教育」は一定の効果をあげることができたが、「現職教育」は理念的な理解にとどまった。その要因は、大幅な教員不足、不足教員の急速な補充による質的低下、さらには財政難といった事情による。 3.戦後初期、教員の再教育事業が大規模に実施された。その方式は基本的に戦前の方式を踏襲したものであり、そのことが逆に短期間での実施に効果的であった。 4.CIE主導の政策によって米国流の現職教育方式が紹介された。その代表的な方式がワークショップである。学校を基盤とした研究も推奨された。しかし、教育現場にはそうした方式を定着させるだけの条件が整っていなかった。 5.1949年の免許法の施行以後、文部省予算による認定講習が本格化し、そのことが結果的に「現職教育」は資格取得のための方法という認識を定着させていった。資格の更新制も実現しなかった。 6.戦後改革期における現職教育構想は、教育研究所を中核にした構想もあったが、CIEおよび文部省の構想では、大学に期待するところが大きかった。しかし、それは具体化にはいたらなかった。 7.教員団体への期待もあったが、教員組合の勢力が増大するにつれ、次第に警戒感へと変わっていった。教員団体の問題が、徐々に、当初の構想の見直しにつながっていく前兆も認められる。
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