本研究では、明治初年にわが国がすでに国民皆兵を視野に入れた複線型の近代学校教育制度の構築を目指していたことを明らかにすることを目的として、平成14年度の研究実施計画通り、8月14日から9月6日の14日間、ドイツ・ベルリンにおけるプロイセン関係文書の史料調査を行った。 史料閲覧収集は、(1)国立文書館、(2)プロイセン関係文書館、(3)外交資料館の3館で行い、必要と思われる文書をそれぞれ2点、11点、1点後日複写した。日本とプロイセンの学校教育制度の関連性を明記した文書は、外交資料館所蔵の駐日公使フォン・ブラント覚書1点であったが、プロイセンの義務教育制度がヨーロッパ各国から問い合わせがくるほど注目されていたことを裏付ける史料は、プロイセン関係文書館で数多く見つかった。史料からは断片的ではあるが、プロイセンが義務教育の普及に力を入れるとともに、学校教育を通して愛国心を高めることに成功したことがうかがえる。 また調査期間中、2000年9月にベルリン日独センターで開催されたシンポジウム「日本とプロシア」のパネリストであったベルリン自由大学歴史学教授クレプス氏(著書"Japan und die Preussische Armee")、キリスト教教育研究所教授メラー氏ら日本研究者と交流を持った。その際、プロイセン関係文書がベルリン以外にもフライブルク、デンマーク、フランスの史料館にも所蔵されており、その調査研究も是非行うようアドバイスを受けた。徴兵制度を補足するために教育制度改革がどのように行われたのかについて、プロイセンの実態把握も必要であると考える。 平成15年度は、海外研究者との連携も深めながら、海外調査を継続したい。
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