本研究は、明治初年に我が国がすでにプロイセン学校規則に注目し、国民皆兵を視野に入れた近代学校制度の構築を検討していたことを国内外の史料調査研究により、明らかにすることを目的とした。史料調査の結果は以下の通りである。(1)ドイツ・外務省外交史料館では、本研究者(熊澤)が長年追究してきたドクトル・ベルリンに関する記述を見出すことができた。ドクトル・ベルリンは、「大学規則」の成立過程において大学当局にプロイセン学校規則を紹介したという重要な役割を果たしている。(2)ドイツ・国立文書館では、アジアへの通訳見習募集の新聞切り抜きを見出した。在外公使館に勤務するには、幅広い知識と教養が必要であった。(3)ドイツ・プロイセン関係文書館では、プロイセン学校規則が意図する愛国心、すなわち国民皆兵を補足する教育制度について、近隣諸国も関心を示していた史料を収集した。(4)イギリス・大英図書館における文献調査では、国民皆兵と天皇制の関連性について、M.O.A.G.の論文を複写した。(5)国内調査では、ドクトル・ベルリンにより紹介されたと考えられる「学国学法」の全文を手に入れた。また、「学制」以前にドイツの国力、そしてそれを支える国民皆学・皆兵について岩倉具視に情報があがっていたこともわかった。(6)日本・プロイセン関係文献として、軍事的な影響を論じたクレプス博士と教育制度の影響を説いたメラー博士の論文を紹介した。最後に、プロイセン学校規則に注目した経緯に関しては、拙稿「近代学校教育の生成過程に関する研究」を引用した。
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