創設期の横須賀市博物館では、英国型博物館像を追求し行政的に実現した羽根田弥太、啓蒙活動を重視した赤星直忠や柴田敏隆らによって、活動が作り上げられていった。複数の価値観のせめぎあいが、博物館の発展や博物館関係者の議論の活発化に貢献したと考えられる。伊藤寿朗は、横須賀市博物館における生態調査に注目する一方、博物館が公共性を獲得するためには、市民参加型の調査研究が必要であると論じた。開館から1974年までを調べたところ、三浦半島自然保護の会・横須賀植物会会員が関わる一部の「生態調査」と、横須賀植物会、相模貝類同好会の活動が、市民参加型調査研究活動に該当すると考えられる。しかし、伊藤は、市民参加型調査・研究の質や、市民の定義にまでは踏み込んでいなかったことを考察した。博物館の公共性に関しては、調査研究活動に参加した市民が、どのように館や地域を変えていったのか、引き続き検証されるべきであることを論じた。 一方、大井沢自然博物館では、教員たちが、戦後新教育の波の中で、実現されていない「教育の機会均等」を求めて自分たちの手で博物館を作っていった。必要なものを自ら生み出したり、守ったりできる人々に「市民」の実像を見出すことが可能であることを指摘した。山形県朝日町に関しては、エコミュージアム概念受容のプロセスを解明した。 政策的には、48基準緩和の一方で、基準による規制に変わる評価制度の導入が試みられており、評面制度により博物館の水準維持が目指されていることを分析した。日本博物館協会の報告書では、博物館資源の不足を補う意味での連携・市民参加が要請されており、報告書が理念を欠いたミニマム・スタンダードの提示に終わっていることを示した。現在求められているのは、評価をめぐるノウハウではなく、博物館の存在理由を踏まえた上での、法や基準をつくり上げるための根本的検討であることを論じた。
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