研究成果報告書では、全体を四章に分けてこれまでの研究成果をまとめた。第一章では、独立(1947年)から1968年の独立後初の国家教育政策決議に至るまでの、初等教育の特徴と初等教員養成拡張の特徴とその構造的特質を解明しようと試みた。インドの学校教育の拡張は独立前も独立後も高等教育に比重がかかっており、急激な人口増と予算不足もあって、初等教育はその量的拡張を支える質的改善を伴うことが出来なかった。また、初等教員増員は短期訓練の実施などによって行われたことで、以前から指摘されていた初等教員の社会的地位の低さなとの改善には繋がらなかった。また、この時期の初等中等教育は州政府の管轄とされていたため、全国的な教員養成政策実施は難しく、また実際に学校教育の実状も州ごとにきわめて異なっていた。 第二章では独立後の連邦政府が無視し得ない英国植民地政府の教育政策について検討した。植民地政府の基本方は植民地の効率的な維持であったが、時代の推移とともにその教育政策は変化している。だが、初等教育の大衆への普及に関しては19世紀前半から幾度か詳細な調査を実施し、教員養成を含めたその問題点、すなわち、養成の不足のみではなく地域社会からもアカデミックな世界からも孤立していることなどを指摘してはいるものの、結局、植民地政府はインド人大衆への教育の責任を担うことはなく、独立後の政府は植民地時代の負の遺産を背負ったまま、教育政策を進めることとなった。 第三章では、1968年の教育政策決議以降の学校教育拡充の低迷と1986年の「国家教育政策決議」以降設立が進められている各州下の各県の「県教育研究所(DIET)」での初等教員養成の展開を検討し、デリー、ハリアナ、マハラシュトラの各州について調査結果からその実状を分析した。各研究所にカリキュラムの編集や教材の出版の自由を認めたこのDIET政策による初等教員養成によりて、地域社会で養成されて地域社会で勤務する初等教員が実現している州がある一方、員養成の実施のみで地域の初等教育振興のための研究活動には比較的力を入れていない州もあることなどが明らかになった。このように州差はあるものの、このDIET政策は連邦政府が計画し、予算も負担する形態で進められており、教育の地方分権化を全国的に推し進めるという初等教育振興策は、今後も継続するであろう。教員がどのようにこの政策を受容し、どのような教育の担い手となるかは、今後の研究課題である。
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