本研究は、尾張藩の享保改革の意義を同藩の所領である木曽政策を通して明らかにすることにあり、そのために木曾政策の実態と木曽の状況に関する調査・研究に精力を注いだ。近世史を学ぶ三人の研究補助者とともに現地調査を含めて広範な史料採訪を行い、最終的なまとめを行った。 尾張藩の享保期の木曽政策は、材木の枯渇によって木曽の材木採取地としての重要性が減少したことが基底にあり、藩による検地と年貢の増加は、木曽を濃尾地域並みに扱う方針の最たるものであった。村役人の手当てや木曽代官山村氏の収奪物の廃止などもその一つであるが、しかし同時にそれは山村氏の木曽における特権剥奪のためでもあった。それが藩の木曽政策のもうひとつの目的であった。幕臣でもある山村氏の特権を剥奪して藩の直轄支配を強化しようとしたのは、幕府の木曽返還要求を拒絶したことと表裏一体であって、それは幕府と尾張藩との確執であった。 このように木曽政策は、18世紀初頭から前半にかけての幕府と尾張藩との緊張関係に規定されたものであったが、他方では木曽地域社会の変化への対応でもあった.薙畑(焼畑)などの農地開発や、白木稼ぎ地域の特定化などの商品経済や街道での諸稼ぎの展開などを背景にした住民の自立化が進んだことが、旧来からの村役人の特権否定を惹起させるなど村社会を変質させた。また採材システムの分業化・専業化によって、従来の地域社会システムに依存した採材方式は不必要となり、そのことが山村氏の権限削除のもうひとつの要因であった。 こうした尾張藩の木曽政策の基調は、木曽だけの特殊なものではなく、尾張藩全体の享保期の藩政に共通するものであったと考えられるのであるが、その点については今後の課題である。
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