本研究の課題のうち本年度は主に、(1)軍事的武力における寺院と武士との差異、(2)軍事的武力に対する俗権力の対応の変遷、に焦点を絞って検討を進めた。 (1)近年、中澤克昭は、武士と寺院の武力に顕著な偏差がみられないと指摘した。しかし、集権的統御が困難であったという寺院武力の特質を、中澤は見落としている。確かに中世寺院では門跡-坊主-弟子という縦の主従制支配が展開したが、他方では坊主たちの共同体(サンガ)という性格も残存していた。たとえば延暦寺の場合、軍事動員権が天台座主に集権化されるのではなく、その実権を下部組織が分有していた。その結果、天台座主が大衆に襲撃されて追却されたり、門跡が門徒の暴走を統御できない事態が頻繁に発生している。しかも武力決着が容易に許されないため、軍事統率権の統合も進行しなかった。このような非集権性に寺院武力の重要な特質がある。 (2)南北朝時代になると顕密寺院への兵杖禁止令が消滅し、僧侶は武装すべきでない、といった理念が俗権力から消えていった。その原因は激しい内乱と軍勢催促にある。南朝・北朝とも、軍功をあげれば僧俗貴賎を問わず恩賞を与えると約して寺院に軍勢催促をしたし、応じなければ制裁も加えた。その結果、和泉松尾寺、播磨太山寺、摂津勝尾寺など、従来、武力活動の形跡のない地域寺院までもが、戦闘に参加して軍忠状を与えられている。このように、南北朝内乱が顕密寺院の軍事化を広範に進展させた。 なお、これまでの成果を「中世寺院の暴力とその正当化」と題して成稿した。アンヌ・ブッシイの翻訳により、フランス極東学院の機関誌に掲載・刊行される予定である。
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