研究課題
基盤研究(C)
中世寺院の暴力の実態と、その正当化の言説を検討した結果、下記の事実を明らかにした。(1)平安・鎌倉時代に俗権力は寺院の兵杖禁止令を盛んに発布したが、これは武装解除命令ではない。一般領主と同様、寺院にも検断権が認められていた。つまり俗権力は、寺院が警察的武力を保持することは容認していたが、過剰な軍事増強を牽制するために兵杖禁止令を発布していた。一定の武力の容認、これは古代とも近世とも異なる中世寺院の特徴である。兵杖の取り締まりに際しても、俗権力は悪僧の直接逮捕や寺内への立ち入りを避けて、本所権を尊重した。(2)南北朝期は俗権力がこぞって寺院に軍勢催促をしたため、武門専業の僧侶が登場するなど、顕密寺院の軍事化が急速に進んだ。俗権力は「僧侶は武装すべきでない」という僧徒非武装説を放棄し、兵杖禁止令は消滅した。しかし他方では、禅宗寺院に対する兵杖禁止令が登場する。禅宗寺院の場合、顕密寺院とは異なり、幕府が直接寺内に踏み込んで兵杖を取り締まった。(3)宗教的暴力の世界では、戒律・禅定・智慧の三学が武器として機能した。そのため武士が日常的に武術に励んだように、僧侶は戒律・禅定の実践によって祈祷力の増大に努めた。こうした宗教的暴力は、内乱や外寇の鎮圧だけでなく、民衆支配のために日常的に利用されていた。(4)暴力行使にあたっては敵を悪魔・仏敵と断じ、仏敵・神敵の殺戮が国土平安・万民快楽をもたらすと弁じてそれを正当化した。特に聖徳太子による物部守屋の討伐や大乗仏教における「一殺多生の菩薩行」を根拠として、衆生利益のために武器をとり戦うことこそが真の僧侶のあるべき姿である、と主張している。中世仏教は武装や戦争を肯定しただけではなく、衆生利益のための戦闘こそが大乗仏教の菩薩道であると語ってみせた。
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九州史学 140
ページ: 57-71
LEGITIMITES, LEGITIMATIONS Etudes japonaises - II (刊行予定)
KYUSHU-SHIGAKU No 140
LEGITIMITES, LEGITIMATIONS, Etudes japonaises II (Publication schedule)
日本史講座(東京大学出版会) 4巻
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延暦寺と中世社会(法蔵館)
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中世寺院の姿とくらし(山川出版社)
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The actual condition and life of Medieval Temple (Yamakawa-Shuppansha)
Enryakuji-temple and Japanese medieval society (Hozokan)
Japanese History Lecture (Tokyo-Daigaku-Shuppankai) Vol 4
中世の寺院体制と社会(吉川弘文館)
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Medieval Temple System and Japanese Society (Yoshikawa-kobunkan)