本研究の目的に鑑み、以下の二つの方針に基づいて、今年度の研究を行った。 (1)和田文書の内容構成、伝来など、和田文書を史料学的に研究すること。 (2)和田文書を中心に、14〜15世紀の畿内在地領主の政治的動向を研究すること。 まず、(1)については、本研究採択以前から進めていた、和田文書研究の成果として、和田家文書の流出分である尊経閣文庫所蔵の天竜寺真乗院文書の翻刻紹介を共同で行った(『狭山市史』古代中世史料編、平成14年3月刊)。 続いて、研究採択後は原本及び諸写本の調査研究を行い、以下の諸点が明らかになった。(1)色中三中書写和田文書は、ほぼ『続群書類従』本和田文書と同一であること。(2)色中書写の和田文書は、花押影を写し取っており、花押の主の比定が難しい『続群書類従』本の校訂に有益であること。さらに『続群書類従』本では疑わしい和田氏関係の人名等が、色中書写本によって校訂可能なこと。(3)上記の色中書写本の花押影の確認作業により、尊経閣文庫所蔵真乗院文書から失われた、足利尊氏証判の「和田助氏軍忠状」が、『続群書類従』本には納められていることが確認されたこと。以上の成果を基礎としつつ、次年度以降も調査研究を継続したい。 次に(2)については、和田文書と真乗院文書から、和田氏の河内国への勢力拡大の過程で起こった金太氏との衝突について研究を行うとともに、和田氏が名字の地和田荘を寄進した河内国金剛寺に注目し、従来研究が手薄であった鎌倉後期の金剛寺の寺院運営について研究を行った。このうち後者については現在論文作成中である。また、この時期の在地領主の政治的動向を考える上で重要となる南北朝内乱に関して、武士の動向を巨視的にとらえる研究を行い、その成果を論文「『難太平記』二つの歴史的射程」(『文学』2002年、7・8月合併号)として発表した。
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