本年度は戦後石橋湛山研究の第二部である「日中米ソ平和同盟」について、資料を収集しながら最後の論文作成、整理を進めてきた。この部分の研究は基本的には幾つかの旧稿を元にしているが、総合研究の課題に組み込むため、大規模の整理、再構成作業が行われた。また特に晩年の石橋の様子について、新しい資料に基づき一章を書き加えた。 完成した第二部も、第一部に続いて単行本として刊行する計画を進めている。なお、三年間の研究の総決算として、第一部と第二部を併せたダイジェスト版である、報告書「戦後石橋湛山思想に関する総合研究」(約二〇万字)も作成し、主要図書館に配布する計画である。 戦後史上における石橋湛山の最大の貢献は、先見に満ちた二つの構想にあるが、前年度までの第一構想(小日本主義による復興再建)に続いて、本年度はその第二の構「日中米ソ平和同盟」を取り上げた。石橋湛山は東西の和合、平和共存の歴史的趨勢を先取り、冷戦進行さなかの一九五〇年代後半からこの構想を練り上げ、その実現のため最後の命を捧げた。この構想は余りにも早熟であったため、冷戦対立の時代環境の下でその価値がほとんど認識されず、「出来ぬ相談」として、まわり人から冷ややかな目で見られていた。しかし、その三十年後、冷戦の象徴たるベルリンの壁の崩壊およびその後の世界情勢の推移を見ると、我々は湛山の予見の正確さに驚嘆せざるを得ない。敗戦前から戦後日本の経済針路を予見した湛山の小日本主義構想と同様に、東西の和合を目指す「日中米ソ平和同盟」の構想も、二〇世紀後半の国際政治の流れを見事に的中していたといえる。今日こうした石橋湛山の思想価値を掘り起こし、二一世紀日本の指針に供する現実的意義が大きい。
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