戦後史上における石橋湛山思想の貢献は、先見に満ちた二つの構想にある。その一は人間中心の小日本主義による経済復興再建の理念であり、その二は冷戦の解消、東西の和合の歴史の潮流を予見した「日中米ソ平和同盟」構想であった。 前者において湛山は敗戦後の日本経済の再建、復興に根本的理念を提供し、後者において、湛山は、冷戦進行さなかの一九五〇年代後半から、脱冷戦の平和構想である「日中米ソ平和同盟」案を練り上げた。この二つの構想はいずれも、その後の時代になって初めて価値を認められる先見性に満ちたもので、十数年先の戦後日本経済の在り方を規定し、また数十年後の国際関係の行方を予見し得た。 本研究は、この二つの構想を中心に、戦後の石橋湛山思想の全体像を解き明かす実証研究である。第一部では戦後初期から総理大臣引退までの経済復興構想を取り上げ、第二部において石橋湛山晩年の平和思想と行動に焦点を当てた。石橋湛山に関するあらゆる記録、資料を活用し、湛山思想の源流、二大構想の内容、その形成経緯だけではなく、現代、また未来における思想的価値についても評価を試みた。 この研究により我々は、21世紀における日本経済、国際関係の在り方、また人間の生き方の面において、有益な示唆を受けられることを期待する。
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