研究課題/領域番号 |
14510366
|
研究機関 | 九州大学 |
研究代表者 |
折田 悦郎 九州大学, 大学院・人文科学研究院, 助教授 (10177305)
|
研究分担者 |
新谷 恭明 九州大学, 大学院・人間環境学研究院, 教授 (10154402)
有馬 學 九州大学, 大学院・比較社会文科研究院, 教授 (80108612)
|
キーワード | 九州帝国大学 / 留学生 / 朝鮮 / 中国 / 台湾 / 専攻生 / 女子入学 / 傍系 |
研究概要 |
本年度の目的は、前年度に行った九州帝国大学留学生関係資料の収集活動と、その調査をふまえ、(1)不足分のさらなる資料収集と、(2)研究活動を継続することにあった。先ず(1)については、前年度に稿本の形で出した「九州帝国大学留学生名簿」(本研究『成果報告書』所収)の補訂・校訂を行ったが、その作業で最も力を入れたのは、留学生の前歴(出身学校)調査であった。大学史料室にある「名簿」や「カード」(これらには出身学校等は不記載)をもとに、全学部の「同窓会名簿」にあたり、出身学校の抽出や名前の再確認を行った。その意味で、これは現段階における九州帝国大学留学生に関する最新の名簿である。そのほか(1)の資料収集では、後述する研究活動の過程においても新たな資料を得ることができた。例えば、陳昊氏が行った中国人留学生への現地(中国)でのインタビュー(鮑耀東氏、1920年生まれ、84歳、1943年医学部卒/余志強氏、1924年生まれ、80歳、1945年農学部卒)などは、九州帝国大学時代の留学生生活を物語る資料として極めて貴重である。参考資料として『成果報告書』に日中両国語で所収した。また、「九州帝国大学留学生関係資料」(『成果報告書』所収)は、「九州帝国大学新聞」の留学生関係記事と、「九大醫報」(昭和30年・第25巻・第3号)をまとめたものである。「九大醫報」の記事は、九州帝国大学留学生中最も著名な人物=郭沫若の、戦後(中華人民共和国時代)の活動も知り得る資料である。 次に(2)の研究活動では、折田悦郎「九州帝国大学における留学生制度について」(本研究『成果報告書』所収)が、九州帝国大学時代の留学生制度について概述している。法文学部や農学部の事例に明らかなように、九州帝国大学は「傍系」卒業者を大量に受け入れたこと(いわゆる傍系入学)で知られる大学であった。折田論文は、留学生の入学についても、九大における「傍系」入学という流れの中で、いま一度考え直してみる必要性を述べている。このことは、当然ながら「朝鮮」・「台湾」(当時の「外地」)留学生については、殊に大きな影響を与えるものだった。陳昊「九州帝国大学における留学生受け入れ-専攻生を中心に-」(同上)は、専攻生という修学制度を取り上げて、留学生の教育実態に迫ったもの。佐喜本愛「九州帝国大学女子留学生に関する一考察」(同上)は、東北帝国大学とともに例外的に女子入学を認めていた九州帝国大学(法文学部)の「女子留学生」に注目をして行論している。陳、佐喜本両論文ともに、従来殆ど指摘されてこなかった論点に焦点を当てた専論である。
|