研究概要 |
本研究は,豊後佐伯藩を具体的な分析対象として,近世の藩領と領外の関係を追究するものである。本年度は,「郡方町方御用日記」の享保年間を主たる研究対象とした。御用日記のなかから,領民(廻船)が領外へ出る記事(商売,湯治,参詣など)と領外者や領外廻船が領内へ入る記事(商売,入職,興行,見舞いなど)を抄出し,各年度ごとにデータベース化した。 人や船の出入りについては,年度によってかなりの差があるが、入り込みのほうが圧倒的に多いことが判明した。このことから,佐伯領が流通面において「受容型」であることが理解できる。 また,入り込みは現在わかる限り最遠方は伊勢国白子の型紙商人であり,伊勢の現地調査の結果、型紙商人には営業権の縄張りのあることが理解できた。彼らは,毎年のように入り込み,佐伯領での宿を特定の紺屋に定めるという結びつきがある。 入り込み者の出身地は地域的には瀬戸内地域が圧倒的で,特に阿波・周防・伊予などが多いが,酒杜氏や呉服商人などは京都・大坂からの者が中心である。豊後国内では府内及びその近郊,臼杵から商人・職人と入る者が多くなっている。祭礼の折の興行で来る芸人は大坂・阿波・豊前中津・豊後杵築から芝居・人形浄瑠璃など一座を組んで入るもののほか,近国からは,単独または少人数の芸人(曲芸・手妻など)の場合がある。滞在期間は商人は原則1ヶ月以内であり、職人は「入職者」として1年規模で滞在し,住み付く者もいる。 佐伯領民と大坂商人の間での借金や売掛金の返済をめぐっての紛争や油不足による移入問題・流通統制も発生している。
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