研究概要 |
本研究は,従来,「小国家」として独立性をもちながら,その一方で幕藩制国家の地方支配機構として位置付けられている「藩領」について,その実態を人や船の移動の経年的な変化を定量的に追及することを目的としている。その方法として2地域(豊後国佐伯城下町と補足として安芸国忠海港)を定点として分析・検討を行った。 佐伯城下町における分析は,佐伯藩の18世紀前半の「郡方町方日記」(「税関」的内容)を主要な史料とした。領内人の領外への移動は年間100名以下で,信仰や湯治が多く,商売目的は少ない。領外からの入込みは,年間300名程度で,商人(呉服・小間物など)や職人(紺屋・酒杜氏・船大工など)のほか,祭礼市の芝居・見世物(淡路・豊前など)がある。職人にはそのまま領民となる者もいる。入船数は200艘程度であり,豊後国内のほか瀬戸内諸国や九州船籍である。阿波国小松島廻船は特に多く来航している。船の多くは22反帆とおう大船もあるが,多くは小型廻船であった。廻船の積荷では,圧倒的に多いのが米である。廻船の積石数では享保11年には2,000石以上が移入されている。穀類のほか藍玉・煙草・木綿・黒砂糖・七嶋莚・酒・瀬戸物・鰹節など各地の特産品が積荷であった。国別の特徴をみると豊後府内を中心とする職人・商人,筑前廻船の瀬戸物,伊勢(白子)・摂津(大坂)・山城(京都)・越中(富山)・周防・伊予などの特定の地域から特定の商人・職人が入り込んでいる。 忠海港については,廻船問屋の記録と得意先名簿(客船帳)によって幕末・維新期における両問屋の取引先船の船籍・積荷を明らかにした。忠海港には新・古の問屋(11軒)があり,様々な商品が取引されている。西廻り航路沿岸の諸国廻船の来航は,江戸屋は37ヵ国・6,693艘,浜胡屋では43ヵ国・5,038艘となっている。浜胡屋は安芸・伊予・豊後など近隣の特定の国に集中している。両問屋に多く来航している伊予国・豊後国との取引は国産品がもたらされているが,佐田岬・佐賀関半島以南の地域からの商品は干鰯など水産品に集中している。
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