1 植民地期の朝鮮で発行されていた新聞や雑誌の記事・論文などをもとに、論文「植民地朝鮮における公娼制度の確立過程-1910年代のソウルを中心に-」を執筆した。この論文では朝鮮において「貸座敷娼妓取締規則」(1916年)などが制定され、公娼制度の法的枠組みが整備された時期に、朝鮮人接客女性が日本警察当局の定める「芸妓」「娼妓」「酌婦」という分類に沿う形で再編成されたことを指摘した。 2 「併合」以前の朝鮮において、日本人居留民を対象とする公娼制度・密売春取締政策の内容を、東京府・警視庁の制度と関連づけながら検討した。その結果、在朝鮮日本領事館による公娼制度は、警視庁の法令を参照してつくられたこと、公娼制度の存廃をめぐって外務省と現地領事館の見解の違いは大きく、やがてなし崩し的に日本人居留民の密売春が黙認されていったこと、日露戦争が朝鮮での公娼制度を再定立させる契機となったこと、などを明らかにした。なお資料としては『外務省警察史』、外務省外交資料館所蔵「外務省記録」、東京都公文書館所蔵の東京府・警視庁の公文類纂・公報・例規類などを使用した。 3 国史舘台湾文献館所蔵の旧台湾総督府档案、国立中央図書館台湾分館所蔵の公報類をもとに植民地期台湾の公娼制度の変遷過程を追跡した。地域ごとに違っていた取締法令が台湾総督府民政長官の通牒「貸座敷及娼妓取締規則標準」(1906年)で全島的に統一されたことなどが明らかになった。 4 これら旧日本帝国の支配地域で実施された性管理のシステムは、日露戦争を画期として支配地域全体へと拡大し、また第1次世界大戦を契機に朝鮮人接客業者の帝国内移動という状況を生み出すことになった。この論点については、早川紀代編『植民地と戦争責任』(吉川弘文館)に「植民地公娼制度と日本軍「慰安婦」制度」(第1章)として執筆した。
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