本年度は、日本国内における開港場の調査を中心に実施した。 長崎では、引き続き、華僑資本の動向を把握するため、県立長崎図書館の郷土資料を調査し、幕末の唐館貿易の廃止と、それにかわる自由貿易体制の形成過程に関する資料を調査した。また、函館では、明治10年代に本格化する日本の直輸出政策と対中貿易の中心となった広業商会の資料を中心に調査した。 その結果、従来東アジア域内貿易においては、中国資本の力が強力で日本は食い込めなかったとされているのに対して、むしろ1880年代には、日・中・韓の3国間において、条約が締結され、欧米資本を介在しない直接貿易が可能となったことが、アジア間貿易の拡大を生み出したのであり、その結果、欧米資本がそれまで果たしてきたアジア域内貿易の中継的性格が衰退したことが明らかになってきた。いわば、東アジア域内における条約体制の整備こそが、1880年代の在アジア欧米資本の衰退の原因であることを、明らかにしうる資料を発掘した。 これは、従来、アジアからの衝撃として、開港研究における華僑資本の強靭性が強調されてきたのに対して、アジア資本間の強弱ではなく、欧米中心の不平等条約体制が、1880年代におけるアジア間条約体制の整備によって、動揺を開始したことの重要性を示すものであり、対欧米、対アジアの2項対立的国際関係理解にかわる、グローバルな国際関係理解の可能性を示唆するものである。 現在、その資料を分析中である。 また、時期はやや下るが、上海における居留地経営の象徴とされる公園への中国人の進入禁止規定の廃止過程についても、昨年度上海市档案館で収集した資料の分析により、明らかになった。
|