本研究は、3年計画の初年度ということで、まず、先行研究および入手済みの資・史料を整理・分析した。なかでも中国人と婚姻関係を結んだ現地女性が、中国人の現地化にいかに関わっていたのか、その実態を明らかにする作業を行った。その過程で、中国人を現地社会に引き止める主要な要素として、カトリツク教会に認められた婚姻があり、現地女性もこの婚姻制度を積極的に利用していた側面のあったこと明らかになった。また、スペイン当局がマニラの中国人をいかに把握しようとしていたのかの点について分析を進めた。その成果の一部は、「スペイン領マニラにおける中国人の『脅威』--18世紀末葉の『パリアン再建』建議をめぐって」として、2003年2月1日、愛媛大学法文学部多文化社会研究会「異文化間交流による多文化社会諸相の研究」においてて報告した。ここでは、18世紀末葉当時、マニラの都市住民として、カトリシズムを受容し、現地女性と婚姻関係を結び、植民地社会の正統な構成員としての地歩を固めつつあった中国人を、スペイン当局、すなわち、総督府およびマニラ市の構成員であるスペイン植民者がどのように捉えていたのかを明らかにした。当時のスペイン当局者にとって、中国人の存在はもはや脅威ではなかったこと、および、マニラの総督府とマニラ市の間には、在住中国人の統治をめぐって対立があったことを指摘した。本研究に資する史料も含めて、フィリピン各文書館におけるスペイン領フィリピン史研究に資する史料のの所在状況について「フィリピン史料」と題して『岩波講座東南アジア史』別巻に執筆した。また、比較の観点から、同時代の他の東南アジアにおける中国人とヨーロッパ人との関係を解明するのに役立つ資・史料の入手にも努め、当時のヨーロッパ人によるフィリピンを含めた東南アジア見聞記等の刊本のマイクフィッシュ版を入手した。
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