20世紀初頭イギリスの「ジェントルマン資本主義社会」に対する同時代的認識を明らかにするために、帝国システムの在り方とそれに係わる自由貿易政策継続の是非をめぐる関税改革論争を分析素材とし、関税改革提唱者J.チェンバレンと政策的ブレインのイギリス歴史学派、ならびに関税改革構想を批判する自由帝国主義派、自由党急進派の議論を検討した。チェンバレンや歴史学派は、自治植民地の帝国感情に訴えて、自由貿易放棄と植民地特恵導入に基づく新たな帝国システムの構想を打ち出し、現状の自由貿易政策の継続を痛烈に批判した。特に、商業・金融サービスに傾斜するイギリス経済の「ジェントルマン資本主義化」、産業の空洞化傾向等に対して危機感を露にしていたのである。それに対して、自由党首脳のH.H.アスキスらは、自由貿易に基づくイギリス帝国こそが経済繁栄の基礎であり、むしろ「ジェントルマン資本主義社会」と金融的な紐帯に基づく帝国が将来の経済を展望できる道との議論を展開した。1906年の総選挙結果は自由党の圧勝をもたらし、アスキス路線の勝利をとりあえず確認した。しかしながら、ジェントルマン資本主義社会が抱える重要問題は、1909〜10年に財政政策をめぐる論議の中で噴出する。アスキスらが擁護した「ジェントルマン資本主義社会」は、関税改革の実行を迫るイギリス歴史学派による再度の政治キャンペーン高まりと自由党内の急進派勢力台頭により、左右からの挟撃を受けた。1910年総選挙の結果はその意味で、「ジェントルマン資本主義社会」の内部矛盾を露呈させ、イギリス社会の分裂状況を政治地図に表現することになった。J.A.ホブスンがこの選挙の中に、イギリス本国内の工業と金融の経済利害対立、企業家と労働者から成る生産者的な北部と不労所得者を基盤に金融・商業サービス業に依存する南部との対比という「南北問題」を捉えたのである。
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