フランス学士院を構成する5アカデミーのひとつである道徳政治科学アカデミーは、最高の名誉とされるアカデミー・フランセーズの予備門としての位置づけから、従来は軽視されがちであった。本研究の問題意識は、学士院そのものの役割を再吟味することとあわせ、社会科学の萌芽といえる道徳政治科学の名を戴く機関が発足した革命期から19世紀にかけての時期に、それが独自の政策的課題を追求していたことを実証するところにある。同会員の活動は、個人として、またグループとして社会政策を先取りする面があり、人脈は広く政財官界全体におよんでいる。 革命期と19世紀半ばまでの動向については、過去に発表した著書・論文で触れているので、平成14年度は次の2点に焦点を絞った。(1))19世紀から20世紀にかけての世紀転換期における同アカデミー会員、および彼らと親しい政財界の要人たちの活動に注目し、第3共和政期における国民の身体管理と植民地政策との関連において問題を捉えようとした。(2)それは、現在のアメリカ合衆国による世界経済支配(グローバリズム)に対抗しうる普遍的な価値観(ユニヴァーサリズム)の基盤として、フランス独自の政治文化・身体文化を見直すという意味でも重要である。こうした研究目的に基づいて執筆したのが、「歴史としての<からだ>の復権」(『イフィゲネイアー3号所収)と「フレンチ・コロニアル・デザイン〜リヨテ元帥の保護国モロッコ」(「名古屋工業大学紀要」54号)である。この2論文の趣旨は、平成14年4月に刊行された『<からだ>の文明誌〜フランス身体史講義」(叢文社)の叙述にも反映されている。 資料収集のために赴いたフランスでは、パリの学士院図書館(ビブリオテーク・マザリーヌ)で道徳政治科学アカデミーの議事録(コント・ランデュ)を実見し、同時に二百年余にわたる同会員の業績と交代の記録を調査した。さらに北仏リールや中仏リヨンの文書館・史料館を訪れ、各地出身の政治家・知識人の活動の跡をたどった。また国内では、東京大学、一橋大学、および京都大学において、会員の著書を包括的に調査することができた。
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