研究概要 |
ヨーロッパ中世の紛争研究の動向を検討するなら,修道院・教会を中心とした地域社会における紛争調停のネットワークが,その地域の秩序の維持にとって重要な役割を果たしたことを指摘する先行研究が注目される.国家的法秩序がかなり明確になる中世後期のドイツ領邦においても,なおこうした紛争解決と地域秩序の特質が存続しているのではないかとの見通しに立ち,ティロルにおける領邦条令、農村慣習法などの規範史料,新たに刊行された南ティロル農村の放牧地紛争に関する実証研究の成果を検討し,さらにインスブルックの州立文書館において,ティロル農村共同体の紛争関係文書を調査した.これらの史料の分析はなお継続中であるが,現段階では次の点が確認された. 牧畜経営を主要な基盤とするティロル農村社会においては,共同放牧地(アルム)の利用や,各共同体の放牧地の境界をめぐる紛争が,中世後期から近世にかけて頻発した.この紛争はしばしば暴力行使をもともない,同じ共同体の間で繰り返し生じている.ラント裁判官や地方役人,場合によっては領邦政府の役人のイニシアティブの下に,こうした紛争の解決が試みられたが,その際,裁判判決ではなく,あくまで当事者の合意による調停が優先された.しかし領邦当局の中央・地方官僚にとっても,放牧地紛争の解決は容易ではなく,紛争当事者どうしの交渉に協力し,調停の実質を担ったのは,近隣地域の農村住民であった.このような調停に協力する農村共同体間のネットワークは,ティロルの領邦議会に代表を送る自治的地域共同体でもあるラント裁判共同体と密接に関連するものと考えられる.そこからさらに,紛争とその解決のための共同行為が,農村地域社会内のコミュニケーションを促し,ラント裁判共同体を単位とする,農民の政治的行為能力を高めていたでのはないかとの仮説がたてられる.
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