研究概要 |
農村社会における共同体間の紛争が、実質的には近隣共同体の構成員が協力して仲裁されたこと、そうした紛争仲裁のための地域的な協力関係のネットワークは、そのような地域共同体(山岳地方のラント裁判共同体、渓谷共同体)の政治的機能(領邦議会への代表派遣と領邦行政への影響力)と密接に関連していたことを明らかにしてきた。 この紛争解決と政治秩序の関連という観点から、紛争解決が国家レベルでどのような政治的意味を持っていたのかを明らかにするため、本年度は特に12,13世紀の神聖ローマ帝国における国王、貴族の間の紛争解決事例を考察し、以下の点を確認した。 *12世紀後半の国王フリードリヒ1世の国王宮廷裁判においては、貴族、諸侯間の紛争は、裁判・判決と並びしばしば仲裁・和解が優先され、また両者は相互に流動的な関係にあった。その際有力諸侯の仲介、助言、協議が重要な役割を果たし、国王もまた紛争当事者として諸侯の仲裁を受けた。 *国王宮廷の政治的統合力が低下する12世紀末以後、帝国の各地域ごとに有力諸侯を中心とする諸侯の、自律的な紛争解決のための協力関係が展開した。 *13世紀には、詳細な契約文書により、錯綜する領邦利害を調整しつつ、広域的な有効・協力関係を形成する諸侯間の同盟が頻繁に結ばれ、こうした同盟においては、同盟当事者間の将来の紛争に備えた仲裁規定が不可欠の要素をなしていた。 このように帝国レベルでも、13世紀には各地域において紛争解決・予防と利害調整に基づく広域的な領邦間ネットワークが展開していた。すなわち紛争解決という共同行為が、帝国と領邦の間の新たな政治秩序を生み出す可能性を示していたといえる。
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