研究概要 |
前年度までティロル農村社会における共同体の自律的な秩序維持機能を,地域共同体レベルの史料によって明らかにしてきた。今年度は,これに対して領邦君主・政府の諸法令を考察することにより,国家が社会に対してどのように統制と規律化を試み,それはどのような意味を持っていたのかを考察した。その成果は以下の通りである。 15世紀後半からのハプスブルク家君主たち,とりわけ皇帝でもあるマクシミリアン1世は,製塩業,鉱山業の発展に象徴される領邦経済の繁栄や対スイス,イタリア政策における軍事的,地政学的重要性から,領邦ティロルの統治の改革に強い熱意を示した。マクシミリアン1世は,15世紀末より鉱山業の木材需要を優先し,農民の慣習的な森林利用を制限する一連の森林令,そして社会秩序・法秩序のための裁判(訴訟法)改革の法令や産業警察的なポリツァイ条例を頻繁に発令した.この点でマクシミリアン時代は領邦ティロルの画期をなすと言える.しかしそうした君主の性急な改革は領邦構成員,すなわちシュテンデ(ラントシャフト)の強い反発を招いた。とくに農民の不満や要求はマクシミリアン死後から農民戦争期に領邦政府,議会に提出された裁判区住民の苦情書に詳細に述べられている。こうした苦情を集約した1525年の「メラン・インスブルック箇条」を経て成立する1526年/32年の領法令は,領邦当局の国家意志と慣習的な自律的秩序をもつ地域社会の相互交渉の所産である。それは国家の経済・社会・法秩序に対する監督と統制への意欲を反映すると同時に,やはり伝統的な,裁判区共同体を基盤とする地域社会には一定の自立的秩序維持機能と生活圏としてのアイデンティティが存在し,国家もこれを相応に考慮したことが現れている。このようなティロルにおける領邦と地域コミュニティの関係を,近世の国家と社会の相互関係における特徴的一面を示すものと考えることができる。
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