研究概要 |
領邦ティロルでは,渓谷共同体でもあるラント裁判共同体を単位とする農村住民の領邦議会参加資格=ラントシャフトが14世紀には成立していた。このラント裁判共同体内には山岳放牧地や採草地,森林などを共有する複数の中小村落が存在した。牧畜経営が集約化する中世後期から,こうした入会地の利用をめぐる村落共同体間の紛争が頻発し,各共同体には紛争の解決(和解,合意)を示す文書が多数伝来する。これらの共同体文書によれば共同体間の放牧地,入会地紛争は殆ど全てが,近隣の共同体住民の仲裁により解決されていた。紛争は繰り返し生じたが,その都度,主として同じラント裁判区に属す複数の共同体の仲裁により,放牧地の境界やその利用のルールが確認された。その際ラント裁判官は必ずしも中心的な役割を果たさず,むしろ仲裁に立ち会い,和解契約文書に印爾を付して公認する役割にとどまり,実質的な仲裁交渉は当事者と仲裁者たる近隣共同体住民が担った。このような自律的な紛争仲裁という共同行為の繰り返しが地域社会の秩序維持に貢献し,その中で形成される地域的な公共意識,アイデンティティは,ラント裁判区を枠組みとする共同体の政治的機能と密接に関連していたと考えられる。 また中世末期以来ティロルの領邦君主は,裁判,治安,産業経済に関する多数の法令を発令しているが,君主の一方的な法秩序強化に対しては,シュテンデ,農村住民の反発が強く,領邦議会には彼らの苦情,批判が多数提出された。とくに鉱山業のために農民の木材資源利用を制限する森林令に対して農民戦争期には各裁判区が根本的な批判を議会に提出し,君主も農民戦争後の新たな領邦令においては,そうした地域社会の利害に配慮せざるを得なかった。ティロルにおける領邦と地域共同体のこのような関係は,近世ドイツ領邦における国家と社会の相互依存関係における特徴的一面を示すものである。
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