研究業績として、実績報告書の第11項目にも示したように、本課題研究に関わる論考を学位論文も含めて三本ほど公表した。まず「15世紀後半期イングランドにおける宮内府改革とその意義」において、15世紀後半期における宮内府(the King's Household)の改革の意義について検討した。従来の研究では、宮内府改革が行われた理由について、もっぱら国家財政の危機的状況下にあって、経費節減のために部局の統廃合・合理化が目指された点のみが強調されてきた。本稿では、新たな意義として、国王宮廷にイングランドの有力貴族・ジェントリを集め、彼らを宮廷内階層秩序の中に組み込み国王が直接監視する体制が整っていったこと、さらに、この改革が同時に宮廷儀礼の精緻化を伴っていたこともその一貫であることを明らかにした。 第二に「近世イギリスにおける権力と儀礼〜the Triumph of Honourに見るテユーダー王朝の君主政理念〜」において、1501年に行われたイングランドの皇太子アーサーとスペインの王妃キャサリンの婚儀に先立ってロンドン市において行われた「凱旋入市式」を分析しながら、そこにいかなるテユーダー王朝の君主政理念が組み込まれていたのかを分析した。まずこの入市式全体のテーマは、七つの枢要徳を身につけながら「名誉」を獲得することこそ、王が国家を統治する際に身につけるべき資質であることが強調されていた。しかしながら、この点は中世以来よく用いられたテーマである。この入市式が注目されるのは、新たにルネサンス的要素が加わっている点である。すなわち、古代ローマの凱旋式を模した入市式が新たに採用されており、そこに、テユーダー王朝が自らの支配の正統性を古代ローマの皇帝に求めようとしていた点が伺えるのである。またこうした凱旋入市式の由来を訪ねてみると、ルネサンス期イタリアを発祥とし、ブルゴーニュ宮廷を経由してイングランドに入ってきたことを明らかにし、この問題はヨーロッパの政治文化の中で捉えてみる必要性を指摘した。 第三に「王の統治技法〜テユーダー絶対王政期の政治・経済・社会〜」であるが、これは2002年12月に広島大学文学研究科に提出した学位論文である。本論は三部構成からなっているが、本研究との関係で重要な論点は以下の点である。第一に、テユーダー国家財政の基本構造を分析した。特にこの時期に課税システムが整備強化されたにもかかわらず、一度も大規模な反税闘争が起こらなかった理由として、中央政府-議会-地方の相互に政治的回路が開かれていたことが政治的安定に繋がった点を明らかにした。第二にテユーダー王朝時代の権力構造分析は、国王がいかにして絶対的な権力を獲得したかではなく、王国内の様々な社団的団体といかなる政治的・社会的関係を取り結んびながら政治的安定を維持するか、そのメカニズムを解明する必要がある。この点からすれば、テユーダー王朝を絶対王政と規定することには無理がある。しかしながら、王権の絶対性を「王の権威」から見直してみると、この時期のそれは著しく高まり、国王は政治的統合の象徴的機能を果たすようになった点を明らかにした。もとより、こうした国王の権威の高まりも、王による統治の安定性が保証されて初めて可能となったのである。
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