研究概要 |
本年度の研究活動を通じて、科研テーマに関する成果を主に3つの点において得ることができた。 まず中世末期から近世にかけてのイングランドの財務行政について明らかにするために、当時の国家財政機構の中心的財政部局であった財務府(the Exchequer)の財務行政について分析した.その結果として、通説では中世末から近世にかけての財務府は旧態依然としており保守的な財政部局と言われてきた。しかしながら、それは同部局の会計業務の理論面においてであり、実体面について検討してみると、イングランドの国家財政構造の変化に対応すべく会計業務の改革が繰り返されており、テユーダー朝期の国家財政運営の中心的部局としての体制を整えていったことを明らかにした。その成果は下記の研究胎文「16世紀の財務府の会計業務と財政収支関係史料」として発表した。 第二にテユーダー朝時代の税制問題について検討した。この時期に従来の10/1・1/15税に加えて新たに補助税(Subsidy)が導入されることになるが、その財政史上の意義について検討した。前者は各州や都市に対する割り当て税であったが、後者は個人の資産に対する資産評価額に基づいて裸税する直接査定税であった。1/10・1/15税は14世紀半ばに割当て税として導入されたが、その後、各州や都市に対する割当額がずっと固定されていたために、テューダー朝期に入ると、その割当額の分布が経済構造の実態と全くかけ離れたものとなり、各地域間あるいは個人間の税負担の不平等に対する不満が高まり各地で紛争が生じるようになった。また政府の側からしても割当額が固定されている以上、同税からの徴税額をさらに引き上げることが困難であった。そのため、国家財政収入を増加させるために直接査定税である補助税が導入されたのである。また同税の徴収は中央からの勅任官ではなく、地方の貴族やジェントリやほかの有力者に委任されていた。したがって、同税の運用の成功は、何よりも地方の徴税官らが中央政府の意向に従い忠実に資産評価と徴税を行うことにかかっていた。また別の観点からすれば、イングランドの徴税システムは地王の自律性を前提にしていたとも言えるだろう。これらの成果は、上海市(中国)の華東師範大学で行われた中国中世史学会(2003年11月22~24日)において発表した。 第三に16世紀のルネサンス期の君主政理念を検討すべく、16世紀初頭のテユーダー朝の国王のロンドン入市式の分析を行った。またイギリスのPublic Record Office,British Library,London Record Office,The Institute of Historical Researchにおいて資史料の渉猟を行い、その収集と分析にっとめた。この成果は来年度に公刊が予定されている「英国の国王」(仮称)と題する論集にて発表する予定である。
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