第一のケーススタディとしてのアッティカにおける碑文文化の分析はまだ終了していないが、今年度の実績は以下の通り。第一に、碑の形態論に関しては、8月1日に行われた広島西洋史学研究会大会において「古代ギリシア碑の形態論」と題して発表した。しかし、この問題に関しては、資料収集がまだ不十分であるので、概略と見通しを述べるにとどまった。さらなる海外調査が必須である。第二に、碑文の場所に関する調査は、まだ完成はしていないが、ほぼまとめの段階に入った。その成果は、まず2004年4月16-18日に東京で開催される国際シンポジウムでInscription Linkとして報告され、後に手を加えてその報告集に英語論文として掲載される予定である。第三に、碑文に関する基礎データの入力作業は、IGについては完了したので、あとはSEGの入力だけとなったが、すでに全体像は見えていると言っていいだろう。第四に、法廷弁論における碑文の扱いに関する問題については、データの収集と分析は終了したが、独立した論文とするには不適切と判断したので、保留している。いずれ別な要素と組み合わせて発表するつもりである。第五に、現在は、碑文における見出しの問題、特にテオイの問題に取り組んでいる。これに関しては、ギリシア碑文学のみならず、オリエント碑文学やギリシア陶器に描かれた宗教・神話学などとの比較検討が必要なので、その作業を行っている。見出しに関する問題については、その他、書記名やアルコン名、タイトルなどの考察も不可欠である。 第二のケーススタディとしてのシチリアにおける碑文文化の分析は、まだ本格的には開始していないが、碑文が立っていた場を検証するために、1月24日から2月8日まで現地調査を行った。調査した場所は、パレルモ、トラーパニ、セジェスタ、モチア、セリヌンテ、アグリジャント、エンナ、シラクーサ、カターニャの神殿群、住居跡、博物館などである。今回の調査で得られた最大の知見は、アッティカの碑文文化がもっぱら石板に刻まれたものであったのに対して、シチリアの碑文文化では、「もちろん石板もあるが、銅版に刻まれたものが優勢だったのではないかということである。これに関しては、これから詳しく考察していかなければならないが、文書の管理方法や掲示方法とも関わる問題であるので、両碑文文化の本質的な違いを物語っているのではないかと着目している。
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