本研究においては、第二次世界大戦後のドイツ敗戦と占領という時代に、連合国が旧ドイツ戦争犯罪人に対して司法上の断罪措置をとったことの歴史的意義を考察するため、とくにドイツ主要戦争犯罪人に対する処罰政策の決定過程を分析した。分析の具体的対象は連合諸国中の外交、軍事担当部局であり、現実的にはアメリカ及びイギリスの担当部局が対象となる。そこで、第1年度においてイギリス国立公文書館に赴き、また第2年度においてアメリカ国立公文書館に赴いてそれぞれ関連文書を収集し、またそれと並行して関連資料並びに文献を収集した。また第3年度においては資料収集のための海外出張は行わず、主として関連文献の収集に努めた。 分析は第1年度、第2年度の資料収集と並行して進め、その成果は大学紀要にその都度発表した。また第3年度には、これまでの研究文献を全体として総括する研究動向を整理して発表した。それらの成果の内容はかいつまんで列挙すれば、(1)第一次世界大戦における前ドイツ皇帝を含むドイツ戦争犯罪人に対する訴追に失敗したことが第二次世界大戦時にも大きな影響を及ぼしたこと、(2)第二次世界大戦初期においてはイギリスにおいてもアメリカにおいても戦犯裁判、とくに主要戦争犯罪人の裁判については消極的であること、(3)この方向はイギリスにおいては大戦終結まで変化しなかったが、アメリカにおいては1944年秋を境に変化したこと、(4)この変化の原因は陸軍長官H・スティムソン、次官J・マクロイ、並びに陸軍省内の司法官僚たちの政策構想に発するところが大であること、(5)ニュルンベルク裁判への道はこのアメリカ陸軍省内の政策構想がイギリス当局を説得する形で開かれること、(6)その際にヒトラーら主要戦争犯罪人を裁く根拠として共同謀議罪並びに「人道に対する罪」の導入が重要な意味を持ったこと、などである。 以上の分析結果は英米政策当局の政策決定分析としてはこれまでの研究を大きく修正するものとは必ずしも言えないが、わが国における研究段階を鑑みたとき、いわゆる戦争責任問題でしばしば問題とされる「平和に対する罪」(侵略戦争の罪)を断罪するという側面を相対化し、代わりに「人道に対する罪」と共同謀議罪の意義を強調して解釈し、その点から対ドイツ戦犯裁判と極東裁判との相違を明らかにする点で、これまでとは異なる新しい知見を提出したものと考える。
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