研究概要 |
クリュニー修道院に関する史料編集と刊行は18世紀から行われ、研究も19世紀終わり頃から盛んとなり、膨大な文献が刊行されているにもかかわらず、依然としてその実態が把握されているとは言いがたく、その社会、教会における役割が十分に理解されないままにある。ただ1980年代に入ってから、特にフランス、ドイツ、アメリカの研究者によって、研究の進展がみられるため、研究の現状を整理し、文献を集め、課題を明確化することを行った。クリュニー修道院に関する史料は通時的、体系的な史料批判と刊行が行われておらず、その計画もない。例えばDubyが11,12世紀のクリュニーと城主支配権の成立を論じる際に使用したRecueil des chartes de l'abbaye de Clunyも14世紀以降を含んでいないうえに、無造作に証書を年代順に並べたものであることから、使用に際しては注意が必要である。Wollaschを中心とするミュンスターの研究グループが、クリュニー修道院とその支院が形成する共同体の組織面に関する研究をあらゆる史料を駆使し、その全体像を体系的に構築しつつある。連動してRosenwein, Bouchardなども、主として証書史料を厳密に読み込みつつ、10世紀から12世紀にわたるクリュニー修道院と地域社会の関係を論じることに成功した。さらに遅れているのが記述史料の編集であり、聖人伝、奇跡集などの物語史料、修道院慣習律などの法規についても特定の時代や人物についてのみ史料批判が行われているため、クリュニーの修道院生活や理念といった修道制の本質的な部分に関する理解が進んでいないことがわかった。修道院規則についてはHallingerを中心とした史料編纂が進み、Bouthillierらによる物語史料の編纂や研究が進んでいるが、とくにIogna-Pratが中心となって1990年代から、院長伝や慣習律などクリュニーの記述系史料の全体像を提示し、典礼学者や建築学者を交えた学会を開催し、この領域における進展が見られている。クリュニー研究は、社会経済、国制史、教皇史、心性史的研究が別々に行われてきたが、特に遅れている記述史料研究の進展によって、これらを横断する体系的な理解が得られるであろう。
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