中国の墳墓への明器の副葬は、前漢代にはじまり、その後、三国・南北朝時代から唐代に引き続いて行われた。また後漢代からは泥象と呼ぶ人や動物を模したものも多く副葬されている。一方、日本の古墳に配置された形象埴輪は、4世紀に1個の家形埴輪と複数の蓋、鳥の動物埴輪が配置され、その後、4世紀末から5世紀前半に複数の家形埴輪と盾、靱、短甲、冑、船、大刀、囲形埴輪、水鳥などが配置された。さらに5世紀中頃に人物埴輪と馬、鹿などの動物埴輪が出現し、以後、6世紀には人物埴輪が主体に墳丘に配置されるように変化した。今年度の研究では、中国の前漢代以降に副葬された明器のうち、とくに河南省、陝西省出土の資料を多く収集し、時間の経過によってどのような種類の明器が製作されたのか編年作業を行い、また副葬された明器の組合わせを検討した。これらのうち、組合わせでは、倉、竈が前漢代に出現し、その後、井戸や日常の生活用具が加えられている。また、建物を表現した日本の家形埴輪との関連が想定される明器の陶屋では、とくに三国時代から西晋時代に作られた複数の建物を表現した明器の院落住宅、陶城堡と呼ばれるものの建物配置、組合わせに注目して検討を試みた。その結果、これらの建物は有力氏族の屋敷を形式的ながら表現したとみなされるものがあり、日本の古墳時代の首長居館と深く関連する可能性が高いものと推測される。このことは、家形埴輪との関連を少なからずもつものとみなされる。
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