本研究は、近世の墓制のなかでもとくに火葬墓をとり上げ、発掘調査された火葬墓の事例を考古学的に分析することにより、近世墓制における火葬の位置づけを考察することを目的としている。 本年度は、大坂・京都・堺をはじめとする西日本の主要な近世墓の発掘調査から、火葬墓の事例を収集し、データベース化した。 データベース化した事例は、次のような観点から分析した。(1)火葬と土葬の比率、(2)埋葬施設の構造と火葬・土葬との関係、(3)火葬蔵骨器の分類と変遷、(4)焼骨の性別・年齢・重量、(5)火葬場との関連。ただし、それぞれの近世墓の発掘調査のデータにバラつきがあるため、必ずしもすべての項目をみたしていない。 西日本の近世の墓制は複雑な様相を呈しているが、17世紀末から18世紀初頭に画期が見出せるようである。江戸では、火葬と土葬の比率は、17世紀には火葬の比率が高い墓地と低い墓地の両者が見られたが、18世紀以降は土葬の比率が高くなり、17世紀後葉になると鉄釉二〜四耳壷の火葬蔵骨器が普及したことが判明している。また、17世紀の火葬墓の焼骨の重量は18世紀以降よりも軽いこと、子供は火葬の比率が比較的低いという傾向がうかがわれる。こうした近世の墓制上の画期と火葬・土葬という葬法の関係を明らかにしていく必要がある。 今後は、各地の事例を補足的に収集するとともに、火葬と土葬の関係及び火葬墓の変遷と地域性を追究していくことにしたい。
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