本年度も昨年度にひきつづき、韓国の諸機関が発行した無文土器時代および原三国時代関係の方告書を収集し、報告された遺構・遺物をカード化した。また全羅南・北道(湖南地域)の資料や京都大学所蔵の金海貝塚関係資料を実際に調査検討した。そして蔚山地域の初期環溝集落や無文土器の編年と暦年代、〓沙里遺跡の原三国時代については論文をまとめることができ、いくつかの新知見を得た。 1.無文土器時代中期では東川洞遺跡が集落構造をもっともよく示す例で、中央に倉庫群をおくタイプである。 2.暦年代については、遼寧式銅剣II式とどのような無文土器が共伴するのかが鍵を握るが、上限は中期前半の休岩里式までさかのぼる可能性が高く、これまでの私の考えを訂正する必要はない。 3.全羅道地域ではいま原三国時代の遺構・遺物が不明瞭になっており、三国時代資料とのふるいわけが必要で、その端緒をつかみつつある段階である。 4.永登洞遺跡を分析した結果、単位集団が無文土器時代前期には存在することを再確認した。 5.原三国時代にも倉庫をまとめて管理する体制が認められ、無文土器時代中期の様相とのつながりを検討する必要が出てきた。
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