この研究の目的は、東アジアにおける古代のガラス生産技術を統一的に理解することである。具体的な方法として、日本では古墳時代以降、韓国では三国時代以降に時代を限定し、ガラス製品とガラス生産関係資料及びガラス生産と密接に関連する鉛釉陶器関係出土資料を合わせて集成し、総括的な検討を行った。 古代の日本、韓国のガラス生産を研究する資料としては、主要な製品である玉類、ガラス生産用具の一つである砲弾型ルツボ、製作用の小玉鋳型などがある。これらの資料の収集、分析の結果、両国では使用されたガラスが高鉛ガラスであることや、共通した用具を用いながらも、その開始時期は韓国が6世紀後半、日本が7世紀後半と約100年の差があることが明らかになった。 さらに、鉛釉陶器の国産化の時期や普及率を明らかにする目的で、硯についての集成検討を行い、以下の結果が得られた。 日本出土の硯は5000点を超えているが、そのうち鉛釉で施釉された硯は10点にも満たないこと。施釉された硯の年代は7世紀と9世紀にピークがあり、8世紀(奈良時代)には認められないこと。そして、7世紀の施釉された硯の1点は国産品である可能性が極めて高いことである。施釉された硯に認められた分析結果は、すでに多くの研究結果が報告されている「奈良三彩」についても認められている。従って、日本では7世紀後半に鉛釉陶器の生産を開始した可能性は高いが、その後、8世紀(奈良時代)になっても普及率は極めて低率であったと考えられる。同様の流れは韓国においても認められる。 以上のように、古代の日本・韓国においては、ガラスの生産技術、鉛釉陶器の生産技術及び、普及率は極めて共通しているが、開始年代に100年の差が認められる。いずれにしても、両国が独自に開発した技術ではなく、隋・唐の技術が色濃く反映されたものである。
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