研究概要 |
1、中世末から近世初期の瓦生産に重要な役割を果した四天王寺住人瓦大工と播州英賀住人瓦大工のヘラ書き銘を残す瓦について検討を加えた。四天王寺住人瓦大工例として,朝光寺(1481年)、明王寺釈迦堂(1528年)、河上神社(1537年)、庄田八幡神社(1539年)、平等寺(1543年)、鶴林寺(1566年)、観心寺(1572年)、西国寺(1576年)、長谷寺(1647年)について新たに検討を加え,播州英賀住人瓦大工例としては英賀神社所蔵瓦(1566年頃)、妙京寺(1578年)、素盞鳴神社(1583年)、長谷寺(1588年)、長法寺(1590年)、随願寺(1593年)、真光寺(1610年)について新たに検討を加えた。四天王寺住人瓦大工は、安土城の造瓦にたずさわったが豊臣政権下では飛躍的な足跡を残さず,徳川政権の確立とともに急速に生産組織を拡大したのが寺嶋氏であること,また豊臣政権下では播州英賀住人瓦大工が飛躍的な活動をはじめたが,豊臣氏の没落と共に姿を次第に消していることを明らかにした(山崎信二「四天王寺住人瓦大工と播州英賀住人瓦大工」として投稿中『考古論集』2005年)。 2、九州では大分県と鹿児島県における瓦調査をおこない,大分では中世末からの瓦生産の継続(府内城・中津城)と,播州からの瓦工人の移住とが混在すること,鹿児島では慶長の役による朝鮮瓦工の導入から土器技法の瓦作り、そして本州的黒瓦へ移行することが判明。 3、鳥取・島根両県下における葉文・桐文軒瓦について検討を加え,豊臣政権下の瓦生産について調査した。 4、江戸の周辺地をなす甲府城の瓦を編年し,江戸初期の瓦と「江戸式瓦」について検討を行なった。
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