本研究は、日本漢字音史から梵字音史を切り離して独立した歴史研究を構築するための基礎的研究を行おうとするものである。 本年度は、基礎作業として、高山寺、東寺、石山寺、仁和寺、東京大学所蔵の梵字資料を調査しその移点本作成と写真化及び梵字資料文献のデータベース化を主作業とした。本年度に蒐集のこれらの資料と既蒐集資料とを突き合わせて、資料分析を同時並行で行っている段階で次のような事実が明らかになった。梵字及び漢訳の陀羅尼に加点されている声点は声調標示機能とは別に、梵語の長短識別機能を持っている。平安初期の梵字資料に於いては、梵語短音に上声、梵語長音に去声の声点を加えて区別している。奈良時代の「古事記」の「上」「去」注記はこれと共通する使用の在り方であった事が考えられる。平安時代の日本悉曇学の基礎となった唐僧智広の「悉曇字記」はその方式がとられている。また、日本側の弘法大師空海の「梵字悉曇併字母釈義」、慈覚大師円仁の「在唐記」、入唐八家請来の諸悉曇章等の学理書では皆この方式が採用されている。一方、実際の訓点資料を調査してみると、慈覚大師円仁の「法華経陀羅尼」の加点と、それを源流とすると思しき後続の法華経陀羅尼の音読を除いては、平安時代から鎌倉時代にかけての多数の密教儀軌訓点資料に収められている陀羅尼の音読にはその様な加点を認めることが出来ないようである。特に、平安中期の代表的な天台宗の学僧である三井寺慶祚(955〜1019年)は法華経陀羅尼を完全に漢音読してしまっている。従って平安中期の梵語音読という実践の場では、少なくとも梵語音の音韻論上の長短の区別は為されなくなり、梵字音が漢字音の中に吸収されてしまっていたという事が言える事になる。この研究成果については、平成14年11月開催の訓点語学会に於いて発表した。
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