本研究は、日本漢字音史から梵字音史を切り離して独立した歴史研究を構築するための基礎的研究を行おうとするものである。 本年度も昨年度に引き続き、基礎作業として、高山寺、東寺、石山寺、仁和寺、東京大学所蔵の梵字資料を調査しその移点本作成と写真化及び梵字資料文献のデータベース化を主作業とした。本年度に蒐集のこれらの資料と既蒐集資料とを突き合わせて、資料分析を同時並行で行っている段階であるが、現在の段階で梵字資料には本文の体裁が三類型に分類できることが明らかに成りつつある。 第一は梵字のみの資料である。これには所謂「悉曇章」と呼称される梵字表があり、基本的に梵字のみで表記され、稍発展した対注漢字を付したものもある。もう一つは梵字儀軌の類で本文も陀羅尼も共に梵字のみで表記され、平安初期から中期のものに偏って現存している。 第二は梵唐両字儀軌と呼称されるもので、陀羅尼の部分がサンスクリット原典通りの梵字とそれの漢字音訳が併記された資料である。これらは平安初期から平安後期にかけての現存資料に見られ、平安後期以後の資料には殆ど見られなくなる。 第三は陀羅尼の部分が漢字音訳のみで表記されたもので、これは全期に渡って現存するが、基本的には第二の系統の資料の梵字陀羅尼が省略されたものと見ることができる。その証拠として、梵字で表記されるべき行が空白になっている資料が少なからず現存している。 歴史的に第一から第二、第三へ変遷したことが分かる。このことは本邦に於ける梵字の音読が梵字そのものから漢訳字によるものへと変遷したことを物語る。漢訳字による梵語音の復元はいろいろな操作を必要とする。その操作の過程で所謂悉曇学と中国語音韻学との交渉がおこり、日本音韻学の深化発展が為されたものと考えられる。片仮名体系の発達、濁点の発明、拗音表記の発達有気音と無気音の区別などはこの交渉の過程での成果として位置づけられる可能性が出てきた。この研究成果については、平成15年10月開催の日本中国語学会に於いて発表した。
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